父の召天とコンサート
主の御名をほめたたえます。
2023年も今日が最後となりました。皆様には、お祈りとご支援でお支えいただきましたこと、心からのお礼を申し上げます。
実は、12月6日、父が召されました。
その一か月前の11月6日、父は原因不明の高熱を出して入院。その5日後、黄色ブドウ球菌による敗血症であることが分かりました。持病であった大動脈弁狭窄も重篤な状態とのことで、医師より、年齢的にいつ何が起きてもおかしくないと言われました。同じ時期、妹もメンタル面でバランスを崩して入院しました。
私はすぐに11月、12月のコンサートのキャンセルを考えました。
まず主に祈りました。そうしましたら、主は「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:26)のみ言葉をもって答えられたのです。とっさに、伝道コンサートは、それぞれの教会が福音を宣べ伝えるために、何か月も一年も前から祈り備えてきた企画であり、同時にそれは、主によって聖別された時、聖所、礼拝の場であることを悟りました。
そこで、父の所属する札幌聖書教会の堀田修一牧師にお話ししましたところ、「工藤さんのコンサート中にお父様が召されたら、教会で遺体をお守りしますから、どうぞ精一杯主の御用をなさってください」とおっしゃってくださいました。
父は4年前に洗礼を受けたものの、果たして本当にイエス様が自分の救い主だと分かっているのかどうかもわからないような信仰でした。ですから、私は、父が天国へ行けるかどうかが心配で心配で、何日も何時間も叫びながら祈りました。そうしましたら、「父の魂は主の御手の中に守られている」という語りかけがあり、その途端に平安に包まれました。その翌日だったと思いますが、再び平安と共に「あなたのとりなしの祈りゆえ」という、さらなる語りかけがありました。主は、とりなしの叫びの祈りを聞いてくださったことを確信し、感謝に溢れました。
12月1日、医師との面談で、父が抗生剤の副作用で急性腎不全を起こし、肺も炎症で水が溜まっている、あと数日だと思うので心の準備を、とのことでした。この日、初めて10分の面会を許されました。妹が快復して12月4日に退院できることを伝えると、「よかったなぁ!」と言いました。これが父の口から発する最後のちゃんとした言葉でした。
12月5日、山口県に向かう前日、再び10分の面会をさせていただけることになりました。病院のエレベーターを上がる前に、「主よ、父はもっと生きたかったろうに、何と祈ってあげたらいいんでしょう」と尋ねましたら、「父は元気だ」という語りかけが
もしかすると神様が奇跡を起こしてくださって父は元気になったのかもしれないと思い、病室に入りました。しかし、父はさらにたくさんの管につながれており、顔も土色。私はとっさに、「お父さん、イエス様が共にいてくださるからね!イエス様に付いて行くんだよ!」と言いましたら、深くうなずきながら「うーん」と言ったのです。それから「主の祈り」を祈り始めると、一言一句「はーい」「はーい」「はーい」と応答しました。多分一緒に祈っていたのだと思います。
父が召されたのは、その翌日、12月6日午後7時すぎ、ちょうど私が岩国空港に到着した時です。96歳と8が月の地上の生涯でし
葬儀は12日に札幌聖書教会にて執り行われました。前日にグループホームから帰省した妹に、「お父さん、天国に行ったよ」と伝えましたら、少し泣きましたが、その後、「お母さん、天国で、『あら、お父さんも来たんだね』って言ってるね」と、父が天国へ行ったことをしっかりと理解し受け止めたようです。
葬儀は、主を証する素晴らしい伝道の時となりました。
12月8日の山口県虹ヶ丘でのコンサートでは、一人のご年配の男性がイエス様とともに歩む決心をされ、17日の流山では、大きく心を開かれた方がいらしたとのことでした。
12月24日は、大阪の主イエス・キリスト教会の、ナレーションと賛美で綴るクリスマス・ページェントで賛美奉仕をし、25日に札幌に戻り、煩雑でちょっと気の遠くなるようなさまざまな手続きや家の整理に追われつつも、私にとっては世界一であった父の思い出、感謝に浸っています。
今年はこのような事情で、皆様にクリスマスのご挨拶ができませんでしたこと、どうぞお許しください。 来る年も、心を新たにして、主のみわざに励んでまいりたいと思います。今後とも、AKWMの働きをお支えいただけますなら感謝です。
皆様に、主の豊かな祝福がありますように。どうぞ幸いな年末年始をお過ごしください。
主にあって、心からの感謝を込めて
工藤篤子
工藤篤子ワーシップ・ミニストリーズ